日本を代表するクラシックホテル、富士屋ホテル。
明治中期の建物に現在でも宿泊できる宿はとても珍しい。
2020年完成したリニューアルを機に、徹底調査!
ハーミテイジは明治 16 年宮ノ下大火後の二番目の復興建築であり、昭和 60 年まで残っていた。
老朽化のため取り壊され、ハーブガーデンになっている。
ハーミテイジの歴史
明治19年(1886) 着工(現在の本館の前方)
明治19年(1884) 木造2階建て洋館新築、10部屋
明治24年(1891) 本館竣工後、下の西洋館と呼ばれるようになる
大正 9年(1920) 温室の先に移築、ハーミテイジと名付けられる
大正12年(1923) 震災、被害は軽微か
この間 (1920s) 風呂を一階3か所二階1か所に設ける
この間 (1920s) 中廊下型に改造
昭和30年(1955) 4か所風呂を増築
昭和60年(1985) 老朽化により解体
ハーミテイジの詳細
石造布基礎
木造二階建
亜鉛引鉄板張
寄棟桟瓦葺、和小屋
本館(現アイリー)が竣工して 2 年後、隣に純西洋風の 2 階として建てられた。
部屋は、アイリーに続く 13 ~ 22 の 10 部屋である。
くの字型の平面をしている少し変わったもので、なぜこのような形になったのかは定かでない。
大正 9 年の厨房あたりの整備により、僻地に移築された。
大正 13 年にはさらに奥にプールができたため、ハーミテイジから通路が延伸された。
昭和 60 年に解体されるに先立って 59 年、実測が行われている。
室内の写真はほぼ残されておらずすでに実測時、整理が始まっている姿のみを見ることができる。
部屋・間取り
1階
竣工時(1886)の間取り(推定)アイリーや本館と同じように、窓側に廊下のある間取りであった。
廻り廊下という点で和風ともとれるが、意匠はすべて洋風である。
上側の回り階段が竣工時からあったかどうかは定かでないが、明治 26 年の配置図には書かれている。
昭和10年までに3部屋に風呂が付けられた。
おそらく大正9年に大きく間取りが変えられたと思われるが、ここまで全く違う間取りになっているのも珍しい。
昭和 30 年にはさらに 2 部屋に風呂が追加され、1 階には全 5 室に浴室がついた。
温室を通った先にあった。 |
2階
竣工時(1886)の間取り(推定)
1 階と全く同じ間取りである。現在と全く異なる 5 部屋の配置である。
昭和 30 年までには 13 号室が 40 へと改番された。西洋人には嫌われたのだろう。
昭和10年までに1部屋に風呂が付けられた。
昭和30年下期にはさらに2部屋に付けられ、全5室中3部屋に浴室がついた。 解体直前(1984)の間取り
なお、昭和 31 年頃の部屋一覧には 14~22,40 が記載されており、それぞれ
1300 円…17,22 号室
1400 円…14,19 号室
1500 円…15 号室
1600 円…20,21 号室
2100 円…16,18,40 号室
となっている。
旧番号 | 旧分類 | 旧バスタブ | 扉上窓 | 新番号 | 新分類 | 建設年 |
13 | 角固 | ? | →40 | 1886 | ||
14 | 1400 | 角固 | ? | 解体 | 1886 | |
15 | 1500 | ? | ? | 解体 | 1886 | |
16 | 2100 | ? | ? | 解体 | 1886 | |
17 | 1300 | 角固 | ? | 解体 | 1886 | |
18 | 2100 | ? | ? | 解体 | 1886 | |
19 | 1400 | 角固 | ? | 解体 | 1886 | |
20 | 1600 | × | ? | 解体 | 1886 | |
21 | 1600 | 角固 | ? | 解体 | 1886 | |
22 | 1300 | × | ? | 解体 | 1886 | |
40[2] | 2100 | ? | ? | 解体 | 1886 |
数字…値段(1956) |